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蠢女8(新宿歌舞伎町)

2012/12/02 Sun 00:01

8蠢女



 私が、生まれて初めて東京というこの大都会の地を踏んだのは、新宿東口の交差点でした。
 トラックの荷台から飛び降りるなり、『百果園』と書かれた派手な大きな看板が目の前に迫ってきました。そこはお昼のテレビで見覚えのある場所でした。

 トラックが走り去ると、私は一人ポツンと歩道の上に取り残されました。
 行く宛などありません。知り合いもいません。お金も0円です。
 大都会の真ん中で呆然と立ちすくんでいますと、どこからかミートソースの香りが漂ってきました。かと思うと、それはすぐにお好み焼きのソースが焼ける匂いに変わり、突然頭上から「さきほど、三時六分頃、また大きな余震がありました」という大きな声が聞こえてきました。
 そっと顔を上げると、巨大なテレビに私の故郷が映っていました。見覚えのある山と煙突と駅前の白いホテルの建物。こんな大都会でまさか故郷の風景に出会すとは思ってもいなかった私は、ふいに自殺した母の顔を思い出し、ギュッと胸を締め付けられました。

 そんな私の前と後ろと横を、着飾った人々が早足で通り過ぎて行きました。誰一人としてテレビに映る私の故郷を見ておらず、皆、忙しそうに黙々と歩いております。
 すると、いきなり背後からドンっと誰かに突き飛ばされました。よろめきながらペンキが剝げた信号機に掴まると、金髪の若い男が私をキッと睨みながら「ちっ」と舌打ちしました。
 そして「どけよ」っと、私に吐き捨てると、再びスマホを弄りながら新宿駅に向かって吸い込まれて行ったのでした。
 そんな男の後ろ姿を、信号機にしがみつきながら見ていた私は、もはや一歩も動けなくなっていました。膝がガクガクと震え、目の前に見える『ビックカメラ』の赤い文字がぐにゃぐにゃと歪んで見えました。
 私を通り過ぎて行く人々が怖くて堪りませんでした。また後ろから「どけよ」っと突き飛ばされるのではないかという恐怖に襲われた私は、蝉のように信号機の柱にしがみつきながら、母の笑顔を必死に思い出していたのでした。

 どれくらいそこでそうしていたでしょうか、ふと気が付くと、既に空は暗く、新宿駅の『JR』という看板が緑色に輝いていました。
 急に空腹感を覚えた私は、ボランティアの青年に貰ったコンビニのおにぎりをポケットの中から取り出すと、信号機にしがみついたままそれを貪るように食べました。
 空腹が満たされ、幾分かこの騒音と生暖かい空気に馴染んで来た私は、これからどこに行こうかと、もう一度改めて辺りを見回しました。
 ビッグカメラの看板がある方は、凄い数の車が道路一杯にぎっしりと詰まっており、見ただけで足が竦んでしまいました。その反対側は揺るやかなカーブを描いており、その先がどうなっているのか見えません。
 正面には新宿駅がありました。まずは、取りあえず駅に行ってみるのが先決かと思いましたが、しかし、駅に行く勇気はございませんでした。そこに、さっきの「どけよ」の金髪の男がいるような気がして、怖くて行けないのです。
 恐る恐る振り返ると、『百果園』と書かれた店の脇に細い路地がありました。車は進入禁止らしく、川の流れのように人の群れが移動しておりました。
 私はその路地を見つめながら、こっちだ、と、直感的にそう思いました。
 しかし、その時のその直感こそが、更に私の人生を最悪な方向に導こうとは、その時の私は知る由もございませんでした。

 歩道の真ん中に街路樹が並んでいました。両脇にズラリと並んだ飲食店からは様々な香りが溢れ出し、狭い路地にはエネルギッシュな空気が漂っていました。
 そんな路地を過ぎると、巨大な交差点が現れました。目の前には『ドンキホーテ』のビルがギラギラと輝き、『つぼ八』、『アコム』、『レイク』といった、地元でもよく目にした看板が並んでいました。
 そのまま交差点を渡るつもりでいましたが、しかし、そこで信号待ちをしている人の数があまりにも多く、たちまち怖じけづいてしまった私は、逃げるようにして歩道を左折してしまいました。
 しばらく行くと、オレンジ色に輝く吉野家の前に小さな横断歩道がありました。そこには自転車に跨がる人と、派手な服を着た女の人しかおらず、私は信号が変わると同時に横断歩道へと右折したのでした。
 横断歩道を進んで行くと、目の前にチカチカチカチカと激しく点滅する赤いアーチが迫ってきました。
 その無限のマークのように捻り曲がったアーチの真ん中には、この通りの名前が書かれた看板が輝いておりました。それを見上げながら「歌舞伎町一番街……」と声に出して呟くと、とたんに私はそこに吸い込まれていったのでした。

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 そのアーチを潜った瞬間、おもわず肩がぶるっと震えるほどの異様な寒気を覚えました。
 まるで巨大なゲームセンターのような街でした。大勢の人が練り歩き、奇抜なネオンがギラギラと輝き、まるで昼間のように明るい街でした。
 なのに私には、この街が無性に淋しい街に見えました。これほど賑やかで華やかな街なのに、私の目には貪よりと暗い淋しい街に映ったのです。
 この喧噪と寂しさは、小学生の頃、校外学習で行った保健所の動物愛護センターによく似ていました。そこには飼い主に捨てられ犬や、生まれついての野良犬が沢山収容されていました。私たちを見るなり、捨てられた犬達は必死に自分をアピールし、そして生まれついての野良犬たちは牙を剥いて唸っておりました。

「この犬達は、明日処分されます」

 白衣を着た役人が無表情でそう言いました。
 すると新任女教師の中岡先生が、中腰で私達の顔を一人ずつ覗き込みながら、「可哀想だね。このわんちゃん達は明日殺されちゃうんだって。ペットを飼ってる人は絶対に捨てちゃダメだよ」と笑いながら言いました。
 そんな犬達をアクリル板から覗き込む生徒達は、どっぷりと暗くなっていました。女子のほとんどは「可哀想だ」と泣いておりました。
 私も泣きましたが、しかし私は「可哀想だ」と泣いていたのではありません。あの無表情な白衣の役人と、ニコニコ笑いながら「明日殺されちゃうんだって」と言った中岡先生に恐怖を感じ、恐ろしくて泣いていたのです。
 私はこの華やかな街を見て、あの時と同じ恐怖と淋しさを思い出したのでした。

 下品な看板が滅茶苦茶にぶら下がっている通りを進み、当てのないままいくつかの路地を曲がりました。
 焼肉、とんかつ、しゃぶしゃぶ、とんこつラーメン。このエネルギッシュな街の飲食店は見事に肉食系ばかりでした。カラオケと無料案内所がやたらと多く、看板を目当てに徘徊していた私は同じような看板ばかりで迷ってしまい、たちまち方角が分からなくなってしまいました。
 ふと、歩道で足を止めると、奥の駐車場の脇にホストクラブとキャバクラの巨大看板がギラギラと輝いているのが見えました。看板には油絵のような不気味な顔がズラリと並び、通行人をジッと見下ろしております。
 そんな看板の下で乞食のような格好をした年齢不詳の男が菓子パンを狂ったように貪っています。そのすぐ横では、酔ったサラリーマンが白い吐瀉物を撒き散らしながら嘔吐しております。狭い道路を真っ黒な高級外車が凄まじいクラクションを鳴らしながら走り去って行きました。電柱の角のビルの下では、香水の匂いをプンプンさせた派手な女達が、誰かに向かって「ありがとうございましたぁ!」と一斉にお辞儀をしていたのでした。

 そんな光景を眺めながら、方向を失った私はひたすら歩き回っておりました。今夜はどこで寝ればいいのか、お腹が空いた、トイレに行きたい、と、同じ事ばかり考えながら何度も何度も同じ路地を歩き回っていました。
 そのうち、この迷路のような街の全体が見えてきました。次の角を曲がれば女子高生の制服を着た女の子の看板がある、その先のパチンコ店の路地を入れば長崎ちゃんぽんの黄色い暖簾がある、と、細かい部分までわかるようになってきました。
 街が見えて来ると、人も見えるようになりました。乞食、ヤクザ、風俗嬢、酔っぱらい。そしてそれらの人々に紛れるように潜んでいるアジア系の外国人とポン引き達。
 この街の男達は皆、私の頭に穴を開けた精神病院の外部職員や、いきなり土手の草むらに私を投げ出しレイプした中年男と同じ目をしており、そしてこの街の女達は皆、精神病院の女子病棟で、意味もなくニヤニヤと笑っている精神異常者たちと同じ目で笑っておりました。

 そんな狂気的な人々の中に、更にひときわ不気味な人たちが混じっておりました。
 彼らは所々に潜んでいました。
 花柄のワンピースを着た四十代の女性はビルとビルの隙間に挟まれながらずっと泣き続けていました。
 切断された右腕を肩からぶらぶらさせながら回転寿司の店の前に立つ眼鏡のサラリーマンは、まるで誰かを待っているかのように左右をキョロキョロしております。
 細い路地を全速力で行ったり来たりしているのは全裸の中国人でした。彼は走りながら意味不明な中国語をわめき散らし、そして決まってアダルトDVD店の前で立ち止まると、店の前の地面を指差しながら、「ここです!」と日本語で叫ぶのです。
 立ち並ぶビルの上にもそんな人影は見えました。皆、ビルの屋上ギリギリに立ち、凄まじい形相で下の通りをジッと見下ろしています。又、屋上だけでなく各ビルの窓でも、同じように怖い顔をした人々が通りをジッと見下ろしているのが見えました。
 そんな異常な彼らは、明らかにこの世の者ではありませんでした。その場所に相当強い執念を抱いているのか、何度そこを通っても、彼らはずっと同じ事を続けていました。まるで映画の同じ場面を繰り返し流しているかのように、全く同じ事を延々と続けているのです。

 最初は、そんな彼らが怖くて仕方ありませんでしたが、しかし、彼らは私に危害を加えて来ようとはしませんでしたので、私は彼らを無視していました。
 しかし、路地裏のファッションヘルスの前に立っている若い女だけは別でした。彼女は、誰かがその路地を通ろうとすると真っ赤な目玉を引ん剝きながら威嚇してくるのです。
 恐らく彼女は、このファッションヘルスで働いていた女だろうと思います。その店で自殺したのか、それともその店に強い恨みでもあるのか、彼女は店の前に佇みながらジッと店を睨み、そして誰かがその路地に入って来ようとすると、もの凄い剣幕で走って来ては「来るな!」と叫ぶのでした。
 そんな彼女の存在に気づいていない人々は、そのまま彼女の体を通り抜けて路地に入って行きますが、しかし、彼女がはっきりと見えた私は、そんな彼女の剣幕に思わず足を止めてしまいました。
 すると彼女は、私の目をギロッと睨みながら、「来るな……」と低く唸り、そしていきなり真っ赤な口内を剥き出すと、その長い黒髪を鏡獅子のように振り乱しながら「来るな! 来るな!」と私の周りを走り回りました。そんな彼女の口内は、頬を殴られたのかズタズタに切れ、血まみれでした。
 怖くなった私はその路地を慌てて引き返しました。そして離れた場所から恐る恐る振り返ってみると、ファッションヘルスの前には、その女とは別に、若い女が三人立っておりました。彼女達は悲しそうにメソメソと泣きながら、遠くの私をジッと見ていたのでした。

 そんな魔物が見える能力など、今までの私には全くございませんでした。霊感などというものは欠片もなく、幽霊など見た事もなければ、それらしい霊気を感じた事なども一度もございませんでした。
 しかし、今の私にはこの街に潜む魔物達がはっきりと見えました。
 それらが見える時というのは、必ず、額の辺りにキーンっと締め付けられるような痛みを感じました。だから、もしかしたら脳を掻き回された事により、突然それらが見える能力を得たのかも知れないと思ったりもしましたが、しかし、冷静に考えればそんな漫画のような話が現実にあるはずがなく、恐らく私の目に映るその魔物達は、破壊された私の脳が勝手に作り上げた幻想だろうと、私はこの不思議な現象をそう結論づけたのでした。

 そんな魔物が蠢く街をいつまでも徘徊していました。回転寿しの店内の奥に見える時計はいつしか二時を指しておりました。
 歩き過ぎて膝がガクガクしておりました。目眩を感じるほどに腹が減り、気が狂いそうになるほどに尿意を催していました。
 我慢できなくなった私は、バッティングセンターの近くにあった駐車場に忍び込み、闇に紛れておしっこをしようと企みました。
 が、しかし、駐車場の中に入ってみますと、周囲の外灯に照らされたそこは思った以上に明るく、おしっこなどできる状況ではありませんでした。
 あまりの苦しみに顔を歪めながら、そこに止まっていた白いワンボックスカーにしがみつきますと、いきなりその車の運転席のドアがヴィィィィィィと開きました。

「どうかした?」

 そう言いながら運転席の窓から顔を出したのは、日本人ではない中年男でした。
 褐色の肌にげっそりと痩けた頬。深く窪んだ大きなその目は、『あしたのジョー』で減量していた力石徹のようにギラギラと輝いていました。

「大丈夫です……すみません……」

 そのゾッとする顔に脅えながら慌てて立ち去ろうとすると、男は私を呼び止めました。
 
「あなた、何度も行ったり来たりしてます。どうして? 大切なもの、落とした?」

 男はそう言いながら車から降りてきました。その言葉の発音からして、すぐに○○人だとわかりました。
 ドアが開くと車内灯が点き、後部座席にいた女達の顔がボワーっと浮かび上がりました。女は全部で四人いました。最後尾の席にはフィリピン系らしき女が二人に座り、その前の席には、髪の長い日本人の女と、中国人っぽい女が座っていました。
 男はドアを閉めるなり、ポケットから携帯を取り出しました。そして携帯のLEDライトを光らせながら「私、手伝うか?」と呟きました。
 そう微笑んだ男の前歯は、ほぼ全部が虫歯で真っ黒でした。異様なほどにがりがりに痩せた体と、鉛筆のように細い指に不気味に輝くダイヤの指輪。そして、左の耳から肩甲骨にかけてムカデのような傷跡が伸びているのが見えました。
 薄気味悪い男でした。しかし、今の私は、そんな薄気味悪い○○人にさえ縋り付きたいと思うほど、苦しい状況だったのです。
 私は、下腹部を両手で押さえながら「違うんです……トイレを探しているんです……」と、顔を顰めました。
 すると男は、一瞬驚きながらも、「ああ、トイレですね」と大きく頷きました。

「私たちの部屋、すぐそこ、トイレ、貸してあげる、いいです」

 男はそう笑いながらワンボックスカーの後部座席の扉をガラガラガラっと開け、「どうぞ」と笑いました。
 もはや我慢できなくなっていた私は、選択の余地もなく車に乗り込みました。
 車内には、きつい香辛料の香りと、薬用っぽいお香のような匂いがムッと漂っていました。
 前に座っていた長いストレートの髪をした日本人と、狐のような吊り目をした中国人らしき女が私をジッと見ていました。「おじゃまします……」と二人に会釈しながら座席に座り、そしてその後ろの座席に座っている二人のフィリピン女にも「おじゃまします……」と挨拶しました。
 二人のフィリピン女はまるで鑞人形のようでした。ビー玉のような目玉はぴくりとも動かず、ジッと一点を見つめたまま固まっていました。

「あんた、誰に挨拶してんの?」

 髪の長い女が、訝しげに私を見ました。

「え?……」

 愕然としながら後ろの座席を指差すと、ワンボックスカーがゆっくりと走り出しました。

「誰もいないわよ……気持ち悪い事言わないでよ……」

 そう言いながら、髪の長い女は窓の外を見つめ、小さな溜め息をつきました。
 もう一度振り返ると、二人のフィリピン女の姿は消えていたのでした。

(つづく)

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