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香典泥棒1

2013/05/30 Thu 15:37

香典泥棒1



 午後の一時を回った頃、台所に立つ老人は、ふと中庭の物干竿にぶら下がった洗濯物の裏に人影を感じた。
 春風にふわふわと靡くバスタオルの下から、紺色のスカートが見えた。そこから伸びる脚は洋人形のように美しく、黒いスカートと膝まで伸びる黒い靴下との間に見える太ももは、眩しいほどに白く輝いていた。

(また来たか……)

 老人はそう呟きながら食器棚の下の引き出しを開け、中から『西島病院』と書かれた薬の袋を取り出した。
 中庭の洗濯物の裏に潜んでいる影は、いつもの女子中学生だった。彼女はいつも中庭に忍び込み、ああやって何かに身を潜めながら、暫くの間、家の中の老人を覗き見しているのだ。

 老人はそんな少女を横目に見ながら、ナイロンの袋をビリっと破った。白と青の錠剤を手の平の上に取り出すと、それを口内に放り込むなり、ぬるま湯が注がれた湯飲みを急いで口に持って行き、その忌々しい錠剤を一気に胃袋の中へと流し込んだ。
 それは、寿司屋のように大きな湯飲みだった。六年前、妻がケアハウスの友人達と、静岡の清水市に旅行に行った際、おみやげに買って来てくれたものだった。
 ごつごつとした湯飲みの表面には、太い墨字で『次郎長一家二十八人衆』と書かれていた。その下には、大政、小政、森の石松、といった次郎長一家の面々の名前がズラリと書き連ねられ、最後の余ったスペースには、『喰いねぇ喰いねぇ寿司喰いねぇ』と、少々ヤケクソ気味に書き込まれていた。

 そんなキチガイじみた湯飲みをおみやげに買って来てくれた妻は、去年この世を去った。
 老人よりも年上だった妻は既に七十を超えていた。
 腰痛が原因で四年間寝たきりだった。
 息を引き取る二年ほど前から痴呆症が悪化し、自分をヤギだと思い込んでいた妻は、枕元のティッシュペーパーやら新聞紙をむしゃむしゃと食べてはヘルパーのおばさんを笑わせた。
 そんな妻だったため、老人は長年連れ添った妻が他界した事に悲しみや淋しさを感じていなかった。むしろ厄介なヤギがいなくなったと、妙にせいせいした気分でいたのだった。

 老人は、流し台の底に置いてあったシルバーのボウルの中に湯飲みを沈めた。水を張ったボウルの中で湯飲みがゴボッと息を吐くと、ボウルの底に溜まっていたブヨブヨの米粒が一斉に舞い上がり、沈む湯飲みの中に吸い込まれて行った。
 老人は、台所と続き間になっている居間に向かった。六帖の居間には、中庭から差し込む日差しに照らされた畳が独特な匂いを発していた。真新しい畳が、裸足の足の裏に心地良い。

 畳を新調したのは妻が死んで間もなくの事だった。それまで使っていた畳は、この平屋を会社から譲り受けた当時のものであり、かれこれ四十年以上も使い続けていた古畳だった。

 そんな古畳を、妻の死亡と同時に新調したのには、それなりの理由があった。
 それは、居間の窓際で寝たきりだった妻の布団の跡が、畳にくっきりと残っていたからだった。
 それはまるで黒カビのようにジメッと染み付いており、今にも、妻の汗と体臭と糞尿がモワッと臭ってきそうだった。
 だから老人は、妻が息を引き取ると同時に近所の畳屋に電話をかけた。そして、妻の青白い死顔を見下ろしながら畳屋の親父に事情を説明し、なんとか通夜までには新しい畳を入れて欲しいと頼んだのだった。

 通夜には、長屋の住人達が来てくれた。
 六帖の居間と四畳半の台所しかない狭い平屋は、新畳のイグサの匂いで溢れていた。それが線香の匂いと混じり、更にそこに弔問客達の喪服に染み付いたナフタリンの匂いが乱入しては、狭い六畳間は凄まじい匂いに包まれていた。

 そんな通夜で、老人は少女と出会った。

 あの時、弔問に来てくれた長屋の住人はほとんどが高齢者だったため、ポツンと一人だけ制服を来た娘は目立っていた。
 老人はその娘に見覚えがなかった。誰かが孫を連れて来たのだろうかと思ったが、しかし、制服の胸に付いている名札には覚えがなかった。 
 一時間ほどで通夜はお開きとなった。本来ならば、通夜ぶるまいをしなくてはならないのだが、しかし、六畳間の半分は小さな祭壇と棺桶に占領されていたため無理だった。
 事情を知っている長屋の住人達が、通夜が終わるなりぞろぞろと帰り始めた。玄関に立つ老人は、一人一人に頭を下げながら先ほどの娘を探したが、しかし、娘の姿は既に見当たらず、結局、娘がどこの誰だかわからずじまいに終わってしまったのだった。
 
 その晩、老人は一人で寝ずの番をした。長屋は高齢者ばかりだったため、寝ずの番にはヘルパーのおばさん達が来てくれる事になったのだが、しかし老人はそれを丁重に断り、一人で線香と蝋燭に火を灯し続けていた。

 すると、十二時を少し回った頃だったろうか、祭壇の明かりがぼんやりと漏れる中庭に、ふと、細い人影が浮かんでいるのに気づいた。
 老人は磨りガラスの扉を開け、「誰だい?」と外を覗いた。
 盆栽が並ぶ縁側の先に、先ほどの少女がポツンと立っていた。
 「ああ」と老人が言うと、少女は小動物のような大きな目でジッと老人を見据えながら深々とお辞儀した。

「実は携帯電話が見当たらなくて……さっき焼香している時に落としたんじゃないかと……」

 老人は「えっ?」と驚きながら後ろを向き、祭壇の前に並んでいた座布団を順番にひっくり返し始めた。

「あのぅ、入ってもいいですか?」

 少女はそう言いながらも縁側の前で靴を脱ぎ始めた。
 老人は、町内会がくれた花輪の裏を覗き込みながら、「どうぞ、玄関からお上がりなさい」と声を掛けたが、しかし少女は既に部屋に上がっており、必死に卓袱台の下を覗き込んでいたのだった。

 十分ほど二人で携帯を探しまわったが、結局、少女の携帯電話は見当たらなかった。老人が諦めかけた頃、不意に玄関の下駄箱の上にポツンと置いてある携帯を少女が発見した。
 ついさっきヘルパーのおばさんを見送った時、そこにそんな物はなかったはずだがと不思議に思いながらも、老人は、「きっと誰かが拾ってそこに置いていったんだろうね」と少女に笑いかけ、「せっかくですからお茶でもどうぞ」と少女を卓袱台に誘ったのだった。

 少女は、携帯電話を慌てて制服のポケットの中に入れながら「ありがとうございます」と頷くと、音もなくテレビの前にソッと腰を下ろした。
 卓袱台の上には、ヘルパーの人達が持ってきてくれたおにぎりと、町内会が差し入れてくれた寿司が、手つかずのまま置いてあった。
 老人は、丸い寿司桶のサランラップを爪先でピリピリと剥がしながら「中学生ですか?」と聞くと、少女は「前園中学の三年生です」と、真っ白な前歯を光らせた。
 老人は桶のサランラップを毟り取ると、「お寿司も召し上がれ」と少女に微笑んだ。少女は「わあ」と寿司桶を覗き込みながら「いただきます」と嬉しそうに微笑んだ。
 少女が割り箸をパシッと割る音を聞きながら、老人はポットの口に急須を向けた。しかし、湯はもうほとんどなくなっているらしく、ポットの頭を押すと、ぶしゅしゅしゅしゅ、と下品な音を出して湯しぶきが噴き出すだけだった。
「ごめんね、すぐ湯を沸かして来るから」
 老人はそう言いながら立ち上がると、ポットを持って台所へと向かったのだった。

 半世紀近く使い続けている薬缶に水を入れ、それを旧式のガス台の上に置いた。この家には未だにカチッと火が付くガスコンロはなく、元栓を捻ってマッチで点火しなくてはならなかった。だから魚を焼く時も、わざわざ中庭で炭をおこし、七輪で焼かなくてはならなかった。
 老人は慣れた手つきでガスの元栓を捻り、素早くダルママッチを擦った。一瞬、マッチ独特の腐った卵のようなニオイが広がり、それと同時に、ゴォォォォォォっという炎の音が静まり返った部屋に響いた。

 老人はガス台を覗き込みながら元栓を微調整した。そして「失礼ですが、あなたは、どちらの娘さんでしたかね……」と聞きながら居間に戻ると、さっきまで座っていた場所に少女の姿はなかった。
 あれ? と思いながら老人が横を向くと、少女が妻の棺桶の中を覗いていた。
 老人の気配に気づいた少女は、チラッと背後を振り向いた。そして再び棺桶を覗き込みながら「とっても綺麗な顔をしてますね……」と呟いた。
 老人はそんな少女に小さく微笑むと、「苦しまずに死ねたのがなによりですよ」と、ありきたりな言葉を返しながら卓袱台に腰を下ろした。
 少女は寿司には手を付けていなかった。白い皿の上の醤油は、黒い円を描いたまま一寸も乱れていなかった。
 ふと時計を見ると、時刻は一時になろうとしていた。こんな時間まで家に帰らなくて親は心配しないのだろうかと思いながら、ソッと祭壇に目を向けると、四つん這いで棺桶を覗き込んでいる少女のスカートの中が見えそうだった。

 老人は、そこを凝視したまま、おもわずゴクリと唾を飲み込んだ。
 ミニスカートの奥に真っ白な太ももの裏が見え、膝上まで伸びる黒いソックスのゴムが、そこにぎゅっと食い込んでいるのが見えた。
 あと少し少女が尻を上げるか、それとも老人が身を縮めさえすれば、少女の尻は確実に見る事が出来た。
 老人はドキドキしていた。こんな可愛い少女のスカートの中を覗ける事など、もう二度とないだろうと思った。いや、例え可愛くなくとも、若い女のスカートの中を覗けるチャンスなど、もはや死ぬまで訪れないだろうと、汗ばんだ拳をギュッと握りしめた。
 早く見ないとチャンスを逃してしまうと焦る一方、妻の亡骸の前でそんな事をしたら罰が当たると胸が締め付けられた。
 どうする、どうする、と自分を追い込みながら、ひたすら下唇を噛み、なぜか天井ばかり見上げていた。

「まるで生きてるみたい……ちょっとだけほっぺを触ってみても……いいですか?……」

 少女は、戸惑いながらも静かに振り向いた。四つん這いで老人を見上げるその猫のような大きな目には、どこか怪しい光が漂っていた。
 そんな少女の妖艶な目の輝きに、おもわず背筋をゾクっとさせた老人は、必死に笑顔を取り繕いながら「触ってもいいけど、冷たいよ」と笑った。

 少女は無言でゆっくりと前を向くと、恐る恐る棺桶の中に右手を伸ばした。伸びた右手が制服を引っ張り、上着の横から白い横腹がちらりと顔を出した。それは、まるで若鮎のようにツルンっとした横腹であり、老人は、素直にそこに頬を擦り寄せたいと思った。

 ドキドキしながら視線を元に戻すと、少女の体勢は先ほどよりも前屈みになっていた。少女のスカートの中に、淡いピンクの布切れがチラッと見えた瞬間、老人の顔がいきなりカッと熱くなった。

「ほんとだ……冷たくて、硬い……」

 そう呟く少女の後頭部をジッと見つめながら、老人は恐る恐る体を斜めに傾けた。

 もはや老人は理性を失っていた。相手が弔問に来てくれた女子中学生という事も、そして、目の前に妻の亡骸があるという事実さえも、全て真っ白に消えてしまっていたのだった。

(つづく)

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