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牛乳は10



 パトカーは、対向車が忙しなく行き交う狭い道路をノロノロと進んでいた。女のマンションから世田谷警察署までは歩けば五分程度で着く距離だったが、しかし、信号だらけの狭い道路を車で行こうとすると、優に十五分以上はかかりそうだった。
 そんなパトカーの後部座席で項垂れる克彦は、手首で輝く銀色の手錠をジッと見つめていた。克彦の横には、猪のような面をした巨大警官がふんぞり返り、大きなあくびを何度も何度も繰り返していた。
 手錠が痛くて堪らなかった。
 今から五分ほど前、興奮した猪は、「逮捕だぁーっ!」と絶叫しながら女のマンションに突入して来た。マンションの住人たちに囲まれていた克彦は既に戦意を失くしており、完全無抵抗状態でぐったりと項垂れていた。にも係らず猪は、全裸で正座している克彦に飛び蹴りを喰らわせ、ひっくり返った克彦をわざわざ羽交い締めにすると、まるで刑事ドラマのワンシーンのように手錠をおもいきり振りかざしては、克彦の手首に手錠を叩き付けたのだった。
 おかげで手錠が手首に食い込んでいた。絞め過ぎで血が通わず、指先はみるみると紫色に変色していた。冷たい鉄が手首の骨をギシギシと締め付け、パトカーの車内が揺れる度に克彦は激痛に顔を歪めた。そんな克彦を猪は爪楊枝のような細い目でジロっと睨み、「痛いか」と聞いてきた。克彦がコクンっと頷くと、すかさず猪は野太い声で「自業自得だぁぁぁぁ!」と怒鳴り、獣臭のする口臭を克彦の顔面に吹き掛けた。世田谷警察署に着くまでの十五分間、それを三回繰り返していた。

 取調室に連行されると、今度は狐のような顔をした刑事が現れた。
 狐はパイプ椅子に腰掛けると、「婦女暴行の現行犯だからね」と呟き、なぜか満面の笑みを浮かべた。鼻歌混じりにノートパソコンを開くと、「キミには黙秘権があるから、話したくなければ話さなくてもいいからねぇ〜」と心なく告げながらキーボードをカチカチと鳴らし、「名前は?」、「年齢は?」、「職業は?」と、矢継ぎ早に聞いて来たのだった。
 弁解録取書に克彦の身上を書き終えた狐は、椅子に凭れて「むむむむむむ」っとおもいきり背伸びをすると、スーツの内ポケットからパイポを取り出し、それを奥歯でカリカリと噛みながら克彦を見た。

「どうしてキミはあの女性を選んだのかな? 突発的? それとも計画的かな?」

 取調室の窓の外ではひっきりなしにパトカーのサイレンの音が響いていた。克彦がポツリと呟くと、そのサイレンの音で聞き取れなかった狐が「えっ? なに?」と身を乗り出し、手の平を耳の横で広げた。

「……ブログに……裸を載せてたから……」

 もう一度克彦がそう答えると、狐は乗り出していた体をゆっくりと引き、克彦の顔を覗き込みながら「誰が?」と驚いた。

「あの女の人です……」

「嘘だろ」

「本当です」

「じゃあそのブログのアドレスは?」

「携帯見ればわかります」

 狐はデスクの上の内線電話を手にすると、パイポをキリキリと鳴らしながらいくつかのボタンを押した。そして受話器に向かって「悪いけど、今逮捕した東田の携帯を持って来てくれるかなぁ」と誰かに告げ、受話器を置くなり克彦を見て「本当だったらスゲェなぁ」と下品に笑ったのだった。

 しばらくするとカピパラのような顔をした刑事が克彦の携帯を持ってきた。この警察署は動物園みたいだと思いながら克彦は携帯を受け取り、素早く『ミルキーちゃんのお部屋』を開いた。
 なんだそれ、と言いながらカピパラが携帯を覗こうとした。恐らく昼食にうどんを食べたのであろう、カピパラの生温かい口臭は強烈なネギの匂いがした。
 そんなカピパラを、狐は「いいから、いいから」と取調室から追い出し、さっそくPCにそのアドレスを打ち込み始めた。
「あの被害者、すげぇ美人だもんなぁ……」
 そう言いながらカチカチとキーボードを鳴らした。
「もしかしてオマンコなんかもばっちりだったりして」
 そうニヤニヤ笑いながらエンターキーをパチンっと鳴らし、更にパイポをカリカリと鳴らすと、素早くマウスを操作し始めた。
 狐は、しばらく無言でPCを見つめていた。その表情は真剣そのもので、次々にブログのページを捲っていた。しかし途中からチラチラと克彦の顔を見るようになった。そして小さな溜め息をひとつ漏らすと、「全然違うじゃねぇか」と不貞腐れながら、そのノートパソコンを克彦に向けた。

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 その画像の女の顔にはモザイクがかけられていなかった。顔も髪型もあのキャバ嬢とは別人で、手首には例のパワーストーンブレスレットも見当たらなかった。

「ちっ。人を喜ばせるだけ喜ばせやがって。どー見ても被害者とは違うじゃねぇか」

 そう不貞腐れながら椅子にふんぞり返る狐に、克彦が「いえ、間違いありません、このブログは彼女のブログなんです」と身を乗り出して訴えると、狐は更に深い溜め息を吐きながら「日付を見てみろよ」と呟いた。
 見るとそれは最新の記事だった。記事がアップされた時間はわずか四十分前であり、その記事には、セミヌードの女が昼食らしきカルボナーラを食べている画像がアップされていた。

「こいつメシ喰ってるじゃん。四十分前だったらおまえにズボズボされてる最中じゃん! おまえは嘘つきか! 嘘つきなのか! 嘘つきは絶対に許さんぞ!」

 そう言いながら机をバン! と叩いた狐は、まるで親の敵を見るような目で克彦を睨みながらパイポをギリギリと齧った。
 項垂れていた克彦は、そんな狐を恐る恐る見上げた。狐は怒りに震えながらも、極細の目にほんのりと涙を浮かべていた。
 あの女の裸を見れなかった事がそれほどまでに悔しかったのだろうかと思うと、ふと克彦は、この刑事となら上手くやっていけそうな気がした。

 怒りに震える狐をソッと見つめながら、「それなら……」と克彦は言った。

「お詫びの印と言ってはなんですが、刑事さんだけに凄い事を教えましょう」

 狐は、「凄い事?」と呟くと、ガリガリとうるさいパイポをピタリと止めた。

「はい。とっても凄い事です。実は僕、媚薬を持ってるんです」

「……媚薬?」

 そう首を傾げる狐に、「そうです。どんな女でもセックスできる媚薬です」と克彦は深く頷いた。すると狐は「どんな女でも……」と小さく呟きながら、パイプ椅子にふんぞり返っていた体をゆっくりと起き上がらせ、克彦の目をジッと見つめながら「どこにあるんだ」と声を顰めた。

「さっき押収された所持品の中にある目薬です。あの目薬の中身は、実は媚薬なのです……」

 克彦のその言葉が終わるなり、狐は「スーッ……」と鼻で息を吸い込んだ。そして息を吸い込んだままゆっくりと席を立ち上がると、鉄格子の嵌め込まれた窓際へと静かに進み、磨りガラスの窓に映る青空を見上げながら「それでおまえは……その媚薬を使ってあの女をヤったのか……」と息を吐き出した。
「はい……」と克彦が頷くと、狐は磨りガラスの凸凹を指でイジイジと撫でながら、「その話、さっきの警官たちに話したか?」と聞いて来た。

「いえ。まだ誰にも話していません」

 克彦のその言葉を聞くや否や、狐はすかさず「あいわかった!」と振り返った。そして、妙に焦った口調で「今日の調べはこれで終わる。明日、またゆっくりと事情を聞かせてくれや」と言いながらスタスタと席に戻ると、素早く内線電話のボタンを押したのだった。
 狭い取調室に、プルル、プルル、っと呼び出しベルが鳴った。「はい留置場です」と響くスピーカーに向かって、「東田をお願いします」と告げると、狐はそそくさとPCを閉じた。
 机の下に潜り込んだ狐は、ゴソゴソとPCのコンセントを抜きながら「因みに……」と呟いた。

「その媚薬ってのは飲ませるものなのか?」

「あの媚薬は嗅がせるものです。あれを嗅げば、どんな女でもたちまち大淫乱に変身します」

 そう答えると、狐は机の下で「大淫乱か……」と呟き、フフフフフっと笑った。克彦は机の天板を見つめながら、「但し、五分間連続して女に嗅がせ続けなければ効果はありませんから、そこの所、十分に御注意下さい」と呟いた。すると、すかさず机の下から「あいわかった!」という狐の声が返って来た。それと同時に取調室のドアがコンコンっとノックされ、ドアの向こうから若い看守の「留置場でぇーす」という、いかにもバカっぽい声が聞こえて来たのだった。

 留置場の検査室に連行された克彦は、眠たい目をした老看守に服を脱げと言われた。
 あの女とヤってからシャワーを浴びていなかった。克彦の陰毛は女の汁でパリパリになっており、とてもではないが他人に見せられる代物ではなかった。しかし、恐る恐るパンツを脱ごうとすると、老看守はジロッと克彦を睨みながら「そんな汚ねぇもん見たくねぇわ」と呟き、かろうじてパンツの上から陰部と肛門を弄られるだけの検査で助かった。
 領置品と所持金の確認をし、血液型や持病の有無を聞かれる簡単な尋問が終わると、そのまま留置場へと連行された。
 窓のない廊下には、寒々とした蛍光灯が爛々と輝いていた。鉄格子にアクリル板が嵌め込まれた不気味なドアがズラリと並び、そこからホームレスのような人間臭が廊下にムンムンと溢れていた。
 ゴム草履をスタスタと鳴らしながら廊下を進んだ。歩きながらアクリル板の中をソッと覗くと、目玉だけをギラギラと輝かせた薄汚い男たちがゴロゴロしており、ふと、ずっと前に見た、『決死のボートピープル・北朝鮮からの脱出』というNHKのドキュメント番組を思い出した。

 克彦が連れて行かれたのは入口から五番目の雑居房だった。格子の扉が開けられると野武士のような男たちがジロっと克彦を睨んだ。
 三人の男達は緑のビニール畳の上であぐらをかき、妙に焼き色が鮮明なパンを無言で齧っていた。老看守は、部屋の奥を指差しながら、「おまえの夕食はそこに用意してあるから」と言った。畳の上に、裸のコッペパンが二つと紙パックの牛乳がポツンと置いてあった。その真横には六十センチほどの衝立てがあり、その奥にはコンクリート床に嵌め込まれた和式便器が蛍光灯に照らされていたのだった。

 首つり防止だという馬鹿げた理由で靴下まで剥ぎ取られていた克彦は、緑のビニール畳の上を裸足でペタペタと奥へ向かった。そんなビニール畳は表面がねちゃねちゃした。このねちゃねちゃはこの犯罪者たちの汗や脂や水虫なのだろうかと思うと、おもわず克彦は爪先立ちで歩いていた。
 ビニール畳にソッと腰を下ろした。やっぱり健さんの映画みたいに自己紹介しなくてはならないのだろうかと思い、静かに正座しながら恐る恐る男たちの顔を見渡すと、正面に座っていた胡麻塩頭のお爺さんに「早く食べた方がいいですよ」と戒められた。

 静かに足を崩し、パサパサに乾いたコッペパンを齧った。パンの中には少量のイチゴジャムとバターが薄く塗り込んであり、懐かしい駄菓子屋の味がした。
 男たちは無言でパンを貪り食っていた。そんな静まり返ったコンクリートの部屋には、コツコツコツコツっという、何やら不気味な音が断続的に響いていた。
 その音が気になって仕方なかった。乾いたパンを口の中でモソモソしながらソッと辺りを見回してみると、どうやらその音は三人の男達の口内で響いているようだった。男達が咀嚼する度に歯と歯が当たり、まるでガイコツが笑っているような不気味な音を奏でていたのだった。

 コツコツコツコツ………
 コツコツコツコツ………

 そんな不気味な音に包まれながら、赤い紙パックの牛乳を手に取り、その裏面に張り付けられているストローを引き剥がした。小さな銀色の穴に尖ったストローの先をプスっと刺すと、まるで木の実の蜜を吸う小動物のように、それをチューチューと吸った。
 口内に詰まっていたパンが、生温い牛乳で瞬く間にふやけた。それを舌で磨り潰しながらゆっくりと喉に流し込んで行くと、安っぽいイチゴジャムの香りだけが後に残った。
 牛乳は生温かったが実に上手かった。恐らく喉が渇いていたからだろう、日頃はほとんど飲まない牛乳を体が異様に欲しがっているようだった。
 そのまま一気に吸い込んだ。紙パックがペコペコと凹んでいき、パックの底からズズっと下品な音が鳴り出すと、不意に胡麻塩頭のお爺さんが「だめ」と言いながら克彦を睨んだ。
 おもわず、ここでは下品な音を鳴らして飲んではいけなかったのかと焦った。慌てて唇からストローを抜き、「すみません」と謝ると、隣に座っていた落語家のような小太り男が「ピーピーになりますからね」と笑いながら牛乳パックをチュッと吸い、克彦を見つめたままコツコツコツコツっと歯を鳴らした。
 そんな落語家を克彦が不思議そうに見ていると、胡麻塩頭のお爺さんが「あんた、こーいうとこは初めてですか?」と聞いて来た。克彦が黙って頷くと、胡麻塩頭のお爺さんは「なら覚えておいたほうがいいですね、懲役に行った時の為にも」と言いながら優しく笑った。

「牛乳ってのはね、一気に飲むと胃の中で固まってしまうものなんです。その固まりが下痢の元となるんです。ですから上の口から一気に飲めば、当然、下の口からも一気に噴き出します。こーいった集団生活の中で下痢をされるとね、皆が迷惑するんですよ。だから牛乳は少しずつ飲んで下さい。お腹の中で固まらないように、ゆっくりゆっくり最低十回は噛み締めながら飲んで下さい。刑務所では常識ですね」

 胡麻塩頭のお爺さんはそう言うと、牛乳パックをチュッと吸い、克彦を見つめたままコツコツコツコツっと歯を鳴らした。

 コツコツコツコツ………
 コツコツコツコツ………

 入口に座っていた右耳のない若者も黙って牛乳を噛んでいた。

 コツコツコツコツ………
 コツコツコツコツ………

 どうやら隣の部屋からも聞こえて来るようだ。

 コツコツコツコツ………
 コツコツコツコツ………

 いや、隣だけでなくどの部屋からもその音は鳴り、それが廊下に漏れては巨大な雑音となって不気味に響いているようだった。

 ふと克彦は、日教組だということだけで小学校を不当解任されてしまった谷口先生を思い出した。彼女は教室を去る直前、『牛乳は噛みながら飲みなさい』と皆に言い残していた。そう考えると、もしかしたら谷口先生も前科者だったのかも知れないと思い、不意に、数年前に獄死した連合赤軍の永田洋子と谷口先生が頭の中で重なった。
 やはりあの連合赤軍の女兵士も東京拘置所ではコツコツコツコツ……と牛乳を噛んでいたのだろうかと想像すると、一瞬背筋が寒くなった。
 っという事は、カレー事件の林真須美も、オウム真理教の麻原も、秋葉原の加藤智大も、みんなコツコツとやっているのだろうかと更に薄気味悪くなった。
 しかしよくよく考えれば彼らは死刑囚だった。一人の独居房で、どれだけ下痢を噴射しようとも誰に迷惑をかけるわけでなく、今更一人でコツコツする必要はないだろうと思うと、少し気が楽になった。

 コツコツコツコツ………

 克彦は、皆の真似をして牛乳を噛んでみた。
 確かに、噛む事によって牛乳は少量ずつ喉に流れていった。

「そうそう、その調子」

 落語家のような中年男が、パサパサのコッペパンを齧りながら笑った。
 落語家は、「私、詐欺。この人はコンビニ強盗。中国人だけど日本語ペラペラよ」と言いながら入口の若者を肩をポンっと叩いた。そしてそのまま胡麻塩頭のお爺さんを指差すと、「この人は前科二十犯の大泥棒。竹下元首相の家にコソ泥に入って、そこでのんびりとお茶漬けを喰ってるところを御用になったというツワモノよ。ウィークエンダーでも紹介された有名人なんだから」と、オカマのようにカラカラと笑い、そう笑いながらも「で、あんたは何やって来たの?」と聞いて来た。

「はい……強姦です……」

 そう答えると、落語家は黙ったまま牛乳をキュッと飲み、コツコツコツ……と音を鳴らした。

 耳のない中国人もコツコツコツコツ………

 総理大臣の家にコソ泥に入った大泥棒もコツコツコツコツ………

 三人はジッと克彦を見つめたまま、コツコツコツコツ……と牛乳を噛んでいた。

「……その話……メシが終わったら詳しく聞かせてよ……」

 落語家はそう言うと、またコツコツと牛乳を噛んだのだった。



 翌日、取調室に連行されると、そこに狐の姿はなかった。
 代わりに、アライグマのような顔をした刑事が克彦の調書を取った。
 その翌日も、更にその翌日も狐はやって来なかった。
 そんな狐が女子高生の寮に忍び込み、強姦未遂で逮捕されていると聞いたのは、ブタ箱に入れられて五日目の朝だった。
 それは、デリヘル嬢を殴って傷害で捕まった、自称池袋のホストと名乗る新入りが教えてくれた。

「てめぇの小便をわざわざ目薬の容器に入れて女子高生の部屋に侵入したっていうのは、ここの刑事らしいっすね」

 新入りは、金髪の前髪をサカサカと掻き分けながら言った。

 克彦は、本当に狐は実行したんだと驚いた。そして今頃は、狐もどこかのブタ箱でコツコツやっているのだろうかと思うと、ふと笑みが零れた。

「素っ裸で侵入して、寝ている女子高生の顔に小便をポタポタと垂らしている所を見回りの寮長に見つかったらしいっすね。そう新聞に書いてありました。とんでもねぇ変態デカっすよね」

 そうケラケラと笑いながら、新入りは牛乳をチューチューと吸い始めた。

 するとそんな新入りを、コッペパンを齧る胡麻塩頭のお爺さんがジロっと睨んだ。

「牛乳は噛みながら飲みなさい」

(完)



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