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鬼と悪魔と妖怪と3

2012/05/19 Sat 02:10

鬼と悪魔と妖怪と2




僕が担当する六号棟の下島の爺さんがまたしても脱走した。
あの爺さんには元々放浪癖があり、この老人ホームに強制収容される前は路上生活をしながら全国を旅していたというツワモノだった。
そんな放浪癖と脱走癖のある老人を、三時間もグラウンドに放置したままにしていた為、下島の爺さんは楽々とフェンスを乗り越えどこかに姿をくらました。
全て僕の責任だった。院長から「もし親族から刑事告訴されたらキミの責任だからな」と、臭い息で何度も念を押されていた僕は、あの高いフェンスを乗り越え、この地獄から脱出した下島の爺さんが無性に羨ましく思えた。

そんな最近の僕は失敗続きだった。
先週も、中松の婆さんの汚れたオムツを取り替えた際、ベッドの下にオムツを置いたまま忘れてしまい、それを発見された角川の爺さんにオムツのウンコを食べられてしまった。
又、一昨日も、渡辺の爺さんを入浴させたまま忘れてしまい、一時間もバスタブでもがき苦しんでいた渡辺の爺さんを、危うく茹で蛸にしてしまう所だった。
そして今日の下島の爺さんの脱走。
失敗続きでげっそりと落ち込んだ僕は、もはや老人たちに午後のお散歩をさせる気力も出ず、一人ぼんやりと中庭のタンポポを見つめていたのだった。

そこに近田先輩がやって来た。
近田先輩は僕の肩を優しく叩きながら「元気出しなさいよ。そんな失敗、誰にでもある事ですよ」と爛々と輝く太陽を眩しそうに仰いだ。
(失敗続きなのはおまえのせいだ、バカ)
僕はそう呟きながらタンポポの頭を無惨に引き千切ると、そのまま先輩に振り向きもせず六号棟へと向かったのだった。

あの出来事があってからというもの、先輩とは一言も口を聞いていなかった。
あの薄汚れたラブホテルでの出来事を、思い出すだけで強烈な吐き気に襲われる僕の精神は病んでおり、もはや先輩の顔すら見たくなかった。
そんな僕の心を癒してくれるのが婚約者である恵美なのだが、しかしあの日以来、恵美ともうまくいっておらず、かれこれ二週間近くも恵美とは会っていなかったのだった。

春風の気持ちいいグラウンドを抜け、六号棟の渡り廊下を進んだ。
僕が担当する六号棟は、一筋縄ではいかない老人たちを隔離している病棟で、中庭に面した窓にはまるで刑務所のような鉄格子が厳めしく嵌め込まれていた。
そんな鉄格子の隙間からグラウンドをジッと覗いている老人たちの顔が無数に並んでいた。その痩せこけた顔が鉄格子の隙間から数珠繋ぎに並んでいる光景を見る度に、アウシュビッツを描いた古い映画『夜と霧』のワンシーンを思い出した。

六号棟の鉄扉の前で足を止めた。
「はよ出さんかい!」と格子の隙間から叫ぶ老人を横目にポケットの中に手を入れた瞬間、背筋に冷たいモノが走った。
ポケットの中にあるはずの六号棟の鍵がない。
すかさず中庭のベンチに鍵と携帯電話を置き忘れたままだった事を思い出した僕が慌てて渡り廊下を引き返すと、背後から「ええかげんにさらせカス!」という老人の声が聞こえて来た。

中庭へ行くと、まだ先輩がそこにいた。
先輩は僕が引き千切ったタンポポの頭を指先で地面にグリグリと押し付けながら、携帯電話で誰かと話していた。
そんな先輩に気付かれぬよう、足音を忍ばせながらベンチへと進み、そこにポツンと置いてあった鍵と携帯電話を無事確保した。
そのままその場を立ち去ろうとした瞬間、携帯で話している先輩の声が春風に乗って僕の耳に届いて来た。

「先生は、リラクゼーション治療はまだ当分続くと言ってましたよ」

その『リラクゼーション治療』という言葉に僕の足がピタリと止まった。
息を殺したまま横目でソッと先輩の背中を見つめ、携帯に話し掛ける先輩の声に耳を澄ました。

「いやいや、昨夜のような感じでいいんですよ。先生が言うにはその手の病気にはこの治療が最も効果的らしいんです。ですから昨夜のように恥ずかしがらずに全て先生におまかせすればいいんです。大丈夫ですよ、安心して下さい」

その治療という言葉と共に、あの胡散臭い精神科医の顔が浮かんで来た。
またしてもあの変態医師は、昨夜、治療などと偽っては誰かを辱めたのだろう。そしてもちろん、あの話しの内容からして、先輩がそれに加担しているのは間違いなかった。
アイマスクを付けられた女が、代わる代わる裸族たちに犯されるシーンが僕の脳裏に浮かび上がってきた。
猛烈な怒りと吐き気に襲われた僕は、そそくさとその場を立ち去ろうとした。
と、その時、再び先輩の声が春風に乗ってやって来た。

「治療が始まってまだ一週間目ですからね、そんなに早く効果は出ませんよ。いくら軽症のウツ病だと診断されたといっても、ウツ病はとっても厄介な精神病ですから、それなりに時間は掛かるらしいんですよ。まぁ、とにかく、今夜も昨夜と同じ治療になると思いますが、先生を信じて頑張って下さい。ええ、心配しなくても、僕も治療には立ち会いますから……」

おもわず僕の全身の産毛が逆立った。
『一週間目じゃないですか』
『いくら軽症のウツ病だと診断されたといっても』
その二つの言葉が僕の頭の中で、風呂屋で叫ぶ子供の声のようにワンワンと響き、今までにない脱力感に襲われた。

縺れる足を必死に動かしながら中庭を抜けた。
ひんやりとした日陰の渡り廊下でヘナヘナと腰が砕けた。
嘘だろ……嘘だろ……と何度も呟きながら携帯を開き、ブルブルと震える指先で、随分前に届いた恵美のメールを開いた。

『お久しぶりです、恵美です。仕事の事、婚約の事、そしてあなたの事など、重く考え過ぎているせいか体調を崩してしまい、二日ばかり学校を休んでいました。今朝、友人が紹介してくれた病院に行きました。軽いウツ病だと診断された為、大事を取ってもうしばらく学校を休ませてもらう事にしました。ですから、約束していた今夜のお食事はキャンセルして下さい。ごめんなさい。もう少しだけ、考える時間を下さい』

僕はその顔文字ひとつない寒々としたメールを三回も読み直した。
そして、カラカラに乾いた喉に唾を押し込み、大きく深呼吸しながら覚悟を決めると、そのメールが届いた日付にゆっくりと視線を移した。
カナヅチで後頭部を叩かれたような衝撃が走り、とたんに目の前が真っ暗になった。
ハァハァと吐き出る息は異様な臭いを発し、額から流れ出した汗が埃っぽいコンクリートの廊下にポタポタと落ちた。
「嘘だろ……」
初めて出したその声は、寝起きの老人たちのようにしわがれていた。
何度も何度も「嘘だろ……」と呟きながら見つめるそのメールの日付は、残酷にも一週間前を表示していた。
この世の中に、一週間前、軽いウツ病と診断された人が何人いるのだろう。世界、日本、いや、この町だけでも、いや、近田先輩の周囲だけに限っても、いったい何人いるんだろう。
そう思いながらも、それが恵美である確率の高さに、僕はおもわず埃だらけのコンクリート床に拳を叩き付けた。
ガツっ鈍い音が鳴り、拳には無数の小石がめり込んでいた。静まり返った午後のグラウンドに、恐らく散歩に出せてもらえない六号棟の老人がキレたのであろう、「なめとんのか!」という怒鳴り声が淋しく谺していた。


気が付くと、僕はハンドルを握っていた。
ドラッグストアを過ぎたすぐの交差点を左折しながら、ここまでの道のりの記憶が途切れている事に気付き、おもわず背筋が凍った。
『すき家』の交差点で赤信号に引っ掛かかると、車が停車すると同時にポケットの中を調べた。
携帯、煙草、ライター、財布、そして恵美のマンションの鍵。いつも持ち歩いている物はポケットの中にあったが、しかしアクセルを踏むサンダルは、いつも施設で履いている上履きサンダルのままだった。

信号が青に変わるとそこで初めてウィンカーを出した。この交差点を左に曲れば、恵美のマンションまで一直線だ。
見慣れた住宅群をゆっくりと進みながら、先輩と恵美はいつから連絡を取り合っていたのだろうかと考えた。
突然、僕のいないマンションのリビングで恵美の相談に親身に耳を傾けている先輩の嘘臭い顔が浮かび、おもわずフロントガラスに向かって「このやろう!」と叫んでしまった。

僕の頭は混乱していた。怒りと悲しみと絶望が渦を巻き、あらゆる残酷な妄想が次から次へと湧いて出来た。
恵美は既にヤられてしまったのだろうか?
あの精神科医に薬物を打たれ、アイマスクで目隠しされ、朦朧とする意識の中を精神科医や先輩やあの福助のような小男達に犯されていたのだろうか?
そう思いながらも、さっき先輩が携帯で話していた内容を思い出し、あれは既に治療されてしまった後の会話だったと凄まじい絶望感に襲われた。

が、しかし、その時の恵美はどうだったのか?
婚約者をヤられてしまったという絶望の中で、きっと恵美の事だから体は汚されても心は汚されてはいないはずだという小さな光りを僕は求めた。
恵美は、婚約者の僕が陰部を舐めようとしただけで泣いてしまうくらいのウブな女だ、だからきっと泣き叫んで抵抗したに違いない。
僕の名前を叫び、先輩を恨み、貝のように身と心を閉じながら、男達の残虐行為に必死に耐えていたに違いない。
しかし、そうやっていくら自分を慰めてみても、さっき先輩が携帯で話していた内容が所々甦り、僕は再び黒い渦の中へと巻き込まれた。
あの時、確かに先輩は携帯にこう話していた。
『昨夜のような感じでいいんですよ』
『恥ずかしがらずに全て先生におまかせすればいいんです』
これらの言葉は、恵美があの変態治療を受け入れていたという意味にも捉えられた。
という事は、恵美はあのインチキ治療を受けながらも、これが本当のウツ病の治療だと信じていたのだろうか?
そんなわけがない。いくらウブな女教師とはいえ、あの治療がまともな治療だと思うはずがないのだ。

そう頷いた瞬間、僕の脳裏に死刑判決の如くある思いが過った。
(では、なぜ、さっき恵美は先輩と電話をしていたんだ………しかも恵美は、今夜も治療に行くつもりだ……)
カッと頭に血が上ると同時にアクセルをおもいきり踏込んだ。
不意にラブホのベッドで裸族たちに犯されていた女の淫らな顔が浮かび、それが恵美の清い顔に変わった。
次々に淫らな妄想が溢れ出し、アイマスクをされたまま精神科医に犯される恵美が、自ら先輩のペニスを口に含んでいるシーンがリアルに浮かび上がると、そこで初めて自分のペニスが固くなっている事に気付いたのだった。

(つづく)

《←目次》《4話へ続く→》

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