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淫夢(前編)

2012/12/02 Sun 00:00

淫夢




 また、わけのわからない薬を飲まされた。
 夫は抗うつ剤だと言っていた。
 綾子は疑う事なくそれを通常の三倍飲んでいた。
 町の小さな精神科医は綾子の事を『ノイローゼ』だと言った。
 大きな大学病院の精神科医では『パニック障害』だと診断し、また別の大きな病院の精神科医はしたり顔で『ウツ病』だと言った。
 何が何だかわけがわからなかった。
 あの日、綾子はただただ体がだるかっただけなのだ。
 だから掃除も食事の支度もまったくやる気が起きず、夫が会社から帰って来るまでの間、ひたすら眠り続けていただけなのだ。
 なのに夫は、会社から帰るなり綾子を病人扱いし、すぐさま町の小さな精神科へと連れて行った。
 次の日も、そしてその次の日も、夫は違う精神科に綾子を連れ回し、そしてわけのわからない薬を大量に貰ってきては、それを綾子に飲ませ続けていたのだった。


             


 中指の爪が、膣内の真ん中辺りに微かな痛みを与えた。
 膣内を人差し指と中指で掻き回していた太った男は、掌で陰毛をジリジリと擦りながら、同時に突起した陰核をクリクリと転がした。
「入れて欲しくなった? もう、入れて欲しくて堪んないんでしょ?」
 太った男は私の肩を抱きながら、タバコ臭い息でそう囁いた。すると、私の背後にしゃがんでいたもう一人の男が「旦那さんに悪いよ」と笑いながら、私の背中に固い肉棒を押し付けて来たのだった。
 そんな男の肉棒は異様に長く、亀頭の先はネトネトに濡れていた。
「でもね松ちゃん、この人、オマンコをヌルヌルに濡らしてるんだよ……凄いよこの濡れ方は……半端じゃないよ……」
 松ちゃんと呼ばれた男が「どれどれ」と卑猥に笑いながら私の股間を覗き込んだ。
「本当だね。凄く濡れてるね。出会ってからまだ十五分しか経ってないってのにどうしちゃったの? もしかして変態?」
 松ちゃんはそう笑いながらゆっくりと立ち上がると、私の唇に紫色の亀頭を押し付けながら、「ほら、しゃぶってよ変態奥さん」と笑った。
 私はそんな肉棒にむしゃぶりついた。その瞬間、それまでニヤニヤと笑っていた太った男は突然真顔となり、いきなり私の体に抱きついてきた。
 太った男は、肉棒をしゃぶったままの私を四つん這いにさせた。私の突き出た尻をペシン、ペシン、と叩きながら「こんなに淫乱だと旦那が可哀想だよね」と呟くと、叩かれて赤く充血した尻にペニスを捻り込んで来た。
 太った男が「ほら、ほら、ほら」と笑いながら腰を振ると、松ちゃんが「三十女の締り具合はどうだい?」とニヤニヤしながら聞いてきた。
「そうだね……なかなかのもんだと思うけど……でも、濡れ過ぎてヌルヌルになっちゃってるから締まり具合はイマイチかな……ほら、こんな感じ……」
 太った男はそう笑いながら、膣の中からわざとペニスを抜いたりして、コポ、コポ、っといやらしい音を立てた。
 出会い系で知り合ったばかりの男だった。そんな名前も知らない男二人に嬲られながら、私は「殺し下さい! このまま殺して下さい!」と叫び、既に何度も絶頂に達していた。
 男達は代わる代わるに私を犯した。そして、あらゆる変態行為で嬲った挙げ句、それがさも当然の事であるかのように私の中に射精していた。
 そんな精液の生暖かさを何度も何度も膣の奥に感じていた私は、ピーンッと伸ばした両足をピクピクと痙攣させながらその快楽に溺れていたのだった。



             


 ぱっ、と目覚めた綾子は、その瞬間から胸がワクワクした。
 淫夢で目覚めた朝はいつもこうだった。非現実的な夢の世界で現実的なストレスがすっきりと解消されているため、いつも後頭部辺りに貪よりと重たく伸し掛かっている『ウツ』が、まるで真夏の茅ヶ崎の太陽のようにギラギラ輝く『ソウ』へと変わっているのであった。

 寝室のカーテンから洩れる昼の日差しをベッドの中から眺めていると、突然、外に飛び出したい心境に駆られ、意味もなく微笑んだ。
 町を歩き回りたかった。そして道で出会う人に片っ端から声を掛け、今の自分がどれだけ幸せなのかを聞いて貰いたかった。
 そんな多幸感は、昨夜寝る前に飲んだ薬が効いていたからだった。
 薬のおかげで十五時間ぐっすりと眠れた。
 それまで頭の中でブスブスと燻っていた嫌な物は全て取り除かれ、何もしていないのに不自然にふふふっと笑いが溢れて来た。
 その朝は、まるでジェット噴射機で脳を洗浄されたかのように清々しい気分なのだった。

 ベッドに寝転がったまま窓を開けると、爽やかな春風が寝室に注ぎ込み、白いレースのカーテンを踊らせた。
 家の前の路地を走る原付バイクのエンジン音を聞きながら、頭上でヒラヒラと舞うレースのカーテンを見つめていた綾子は、それにしても凄い夢だったと小さな溜め息をついた。
 出会い系サイトなど一度も利用した事がなかった。なのになぜか夢の中の自分は携帯電話のディスプレイに映る出会い系サイトを巧みに操作していた。それに、ラブホなど結婚前に一度だけ行ったきりだというのに、夢に出て来たラブホの壁紙や調度品は妙にリアルだった。
 もちろん、あの松っちゃんという男も、あの太った男も、初めて見る顔だった。 
 誰かに似ていると言えばそうだったかも知れないが、しかし綾子にはそれが誰だったか全く思い出せなかった。なのに綾子は、夢に出て来た二人の男の仕草や口調、そして男の体に漂う匂いや荒い呼吸までも鮮明に覚えていた。必死に記憶を呼び起こし、過去に関係を結んだ男達を一人一人思い出してみた。しかし二人に該当するような男は全く浮かんで来なかった。
 高校時代まで記憶を遡ってみたが、益々迷宮化していく記憶に次第にイライラを感じ始めた綾子は、きっとあの二人は薬の効いた脳が勝手に作り上げた空想の人物なんだ、と強引に思い込む事にし、記憶を詮索する作業をそそくさと終わらせたのだった。
 窓の外を原付バイクが走り去って行くと、微かな排気ガスの匂いと共にサンダルの音が聞こえて来た。サンダルの音と共にカタカタと回る乳母車の車輪の音が混じっていた。
 恐らく隣りのお婆ちゃんが散歩に出掛けるのだろう。そう思った綾子はベッドサイドの時計に目をやり、既に十二時を過ぎている現実に大きな溜息を付いた。
 今日で二週間、家から一歩も出ていなかった。一日中家の中に引き蘢っていると、時間が経つのが異様に早く感じた。
 時計を見る度に綾子は焦った。こんな生活を続けてると、あっという間におばあちゃんになってしまうという焦燥感に常に駆られていた。
 しかし、だからといって、今の綾子にはどうする事もできなかった。外に出て人と接しなくてはと焦ってはいても、しかし、それを実際にする事が面倒臭くて堪らないのだ。
 そんな面倒臭い事をするくらいなら死んだ方がましだ。そう思いながら寝返りを打った綾子は、そのままゴロリとうつ伏せになった。
 シーツに顔を押し付けながらゆっくりと両膝を立て、大きく息を吐いた。
 それは、掛かり付けの心療内科の医師から毎朝目覚めにやるように言われていた『猫のポーズ』だった。
 四つん這いのまま背中を大きく反らすと、まるでアラーの神に祈るかのように両手を前に伸ばした。猫が威嚇をするように「シャー」と息を吐きながら尻を天井に向けた。
 その瞬間、ポコンっと突き出した大きな尻の谷間にショーツがグイッと食い込んだ。
 不意に股間に冷たいモノを感じた。綾子は(濡れてる……)と、そう思った。夢に出て来た見知らぬ男に濡らされたと思うと、新しい恋人ができたかのように妙に心が弾んだ。
 ベッドに顔を埋めながら、さっき見たばかりの淫夢を探り始めた。
 夢の中で太った男がしていたように、突き出した尻をペシン、ペシンっと叩いてみた。綾子にSMの経験はなかったが、自分ではかなりのMだと思っている。
「いや、やめて……」と呟きながら尻を振ってみた。下半身からゾクゾクとした性的興奮が脳へと伝わって来た。
 あの、松っちゃんと呼ばれていた男の顔を必死に思い出そうとした。身動きせぬままベッドに顔を埋めていると、すぐにあの浅黒い脂ギッシュな松っちゃんの顔が鮮明に浮かび上がって来た。
(夢の中のあの男達はいったい誰なんだろう……)
 またしても彼らを詮索しながら、綾子はパジャマのズボンをスルスルと下ろした。
 白いショーツの両端を摘みながら『どれ、変態奥さんのいやらしいオマンコを見てやるよ』と笑う松ちゃんの顔を妄想した。
「だめ……見ないで……」
 そう囁きながら自分でショーツをゆっくりと下ろした。
 尻がツルンっと飛び出した瞬間、綾子の脳から大量のアドレナリンが溢れた。
「ダメ、ダメ、やめて下さい」
 そう唸りながら両手を尻に回し、十本の指を使って尻肉を左右に大きく開いた。

 ペチャっという音と共に陰部が外気に晒された。
 このまま硬い肉棒をヌルリと挿入して欲しいと思った。
 しかし、隣りのベッドに既に夫の姿はなかった。几帳面に整頓された掛け布団の上には、縞柄のパジャマが、まるで陳列する商品のように丁寧に畳まれていた。

 夫の勇作は異常なくらい几帳面で、そして病的な程に潔癖性だった。毎晩十時丁度に必ずベッドに入り、明朝六時きっかりに目を覚ます勇作は、朝の寒風摩擦とラジオ体操を中学時代から一度も欠かした事がなかった。
 しかし、二年前に綾子が統合失調症だと診断されてからは、度々ラジオ体操を休む事があった。それは、綾子が昼過ぎまで寝ている為、朝食を自分で作らなければならないからであった。
 そんな夫の枕をぼんやりと見つめながら、ふと、夫はどこで性処理をしているのだろうかと思った。
 夫は綾子と同じ三十歳だった。精力減退の歳にはまだ早すぎる。
 実際、綾子が統合失調症だと診断されるまでは毎晩のように体を求めて来た。しかし、ここ一年近くは全く体を求めて来ていないのだ。
(やっぱり浮気しているのかしら……)
 そんな不安が頭に過るが、しかし、毎日自分の看病に追われる夫にそんな暇があるわけがないと思った。
 すると今度は(風俗?……)という不安が過り、毎日夫が利用する駅の裏にある、『ムンムン女子寮4号店』というファッションヘルスの看板をふと思い出した。しかし、すぐにその不安も消えた。そんな所に遊びに行くお小遣いを持っていない事に気づいたからだ。
(って事は、また……)
 そう新たな推理を始めた綾子は、そっとベッドを下りた。そして、迷う事なく夫のクローゼットの扉を開けると、その奥にある引き出しを開けたのだった。

 予感は的中した。案の定そこには、いやらしいパッケージのDVDや下品な表紙の成人雑誌などが無造作に押し込まれていたのだった。
 以前にも、綾子はこの引き出しに隠してあった卑猥な雑誌を発見した事があった。あの頃はまだ新婚だったため、綾子は激しいショックを受けた。
 あの時綾子は、まるで中学生の母親のようにそれら卑猥な雑誌をテーブルの上にずらりと並べて夫の帰りを待った。そして夫が会社から帰って来るなり、それらを夫に投げつけながらヒステリックに夫を責め立てたものだった。
 しかし、今の綾子は寛大だった。それを見せつけられても怒りは湧いてこなかった。それどころか、逆に、妻の身体を労るために成人雑誌で性処理している夫が愛おしく、夫に性的な満足を与えてやれない自分に罪悪感を感じるほどだった。
 そう思いながら、綾子は引き出しの中から一冊の雑誌を恐る恐る取り出した。『他人妻通信』と書かれたその雑誌の表紙には、複数の男達に陵辱されている中年女の淫らな写真が掲載されていた。
 それをパラパラと捲りながらベッドに腰を下ろした。そこに掲載されている女は、いわゆる『熟女』と呼ばれる中年女ばかりであり、その内容は『寝取られ』と呼ばれる、他人に妻を抱かせる変態プレイを紹介しているものだった。
 そのあまりにも卑猥な写真の数々に、たちまち綾子は夫の趣味を疑ったが、しかし女子高生が掲載されているロリコン雑誌よりはまだましだと素直にそう思った。
 そんな写真をパラパラと眺めながら、そこに書き綴られた体験談を読んでいた。それは、妻の肉体を見ず知らずの他人の男に貸し出しするという異常な夫の話だった。
 それを読んでいると、先ほど見た淫夢とその体験談とがリンクし、そこに登場してくる男達が、あの松っちゃんや太った男と重なった。
 気が付くと綾子はその体験談を読み耽っていた。そして感情移入した綾子は、妻が夫の見ている前で大勢の男達に陵辱されるという過激なセックスシーンに、おもわず股間に指を這わせてしまっていたのだった。
 そんな綾子の陰部は驚くほどに濡れていた。目を覚ました時から既にそこは濡れていたのだが、しかし、この記事を読んだ事により更にいやらしい汁を溢れさせていた。
 我慢できなくなった綾子はサイドテーブルに手を伸ばし、引き出しの中から『たるみ頬専用小型電動マッサージ器』を取り出した。
 それは、以前、楽天で『岩盤浴マット』を購入した時に特典で付いて来たおまけ商品だった。電動歯ブラシのような機械の先に十円玉ほどの丸い盤が付いており、スイッチを入れるとその盤が振動するという仕組みになっていた。その盤をたるんだ頬に押し当てながらマッサージをするという機械だったのだが、しかし、頬のたるんでいない綾子には不要の物であり、もっぱら違う用途でこっそり使用していたのだった。
 慣れた手つきでスイッチを入れた綾子は、いきなり手首にまでに伝わって来た振動に驚き、慌ててスイッチを『弱』に切り替えた。
 枕を二つ積み重ね、そこにリクライニングしながら腹の上で雑誌を開いた。
 アイマスクで目隠しされ、両手に手錠を嵌められた中年女が二人の男に嬲られている写真が綾子の脳を刺激した。ドキドキしながらその写真の下に書かれている投稿文を読んだ。

(東京都八王子市・匿名希望・三十八歳・会社員)
『私の目の前で、愛する妻が二人の男に玩具にされています。目隠しされている妻はその二人の男が誰なのか知りません。誰ともわからない男の前で、妻は喜びに体を震わせながら股を大きく開いているのです。私はそんな妻を見つめながら、心の中で『ケダモノめ』と罵りました。というのは、妻がペニスを咥えている男は、妻の実の弟であり、そして今まさに妻のその淫らな穴の中に挿入しようとしている男は、妻の実の兄だからなのです……』

 綾子は、そんな過激な記事を読みながら、頭の奥にクラクラとした目眩を感じていた。どうせこの投稿文は雑誌社が捏造したデタラメ文なのであろうが、しかし、そうとわかっていてもその禁断のシチュエーションに異様な興奮を覚えていた。
 綾子は続きを読みながら、微かな振動音を立てている『たるみ頬専用小型電動マッサージ器』を、M字に開いている股間へと滑らせた。
 濡れた小陰唇が震え、まるで子猫がミルクを飲むようなピチャピチャという音が響いた。心地良い快感が脳を和らげ、無意識に鼻息が荒くなっていた。
 腰をもぞもぞさせながら、ベロリと捲れた裂け目に振動する盤を走らせた。ワレメに沿ってゆっくりと上下させていると、鼻息は更に激しくなった。
 そのまま次のページを捲った。複数の男達に滅茶苦茶に犯されている中年女が、尿なのか潮なのかわからない液体を股間から噴き出していた。
(こんな風に、大勢の男達に滅茶苦茶にされてみたい……)
 そう思うと綾子の鼻息は更に激しくなった。堪えきれずに口からハァハァと荒い息を吐き出すと、その勢いのまま、最も敏感なクリトリスに振動する盤を押し付けた。

「はぁん!」
 そんな声と共に綾子の腰がピクンっと跳ねた。強烈な快感が全身を駆け抜け、まるで三日間便秘で苦しんでいた後に全てを出し尽くした時のような開放感に包まれた。
「あん、あん、あん」
 綾子は、そんないやらしい声を上げながら、その声に合わせて腰を上下に振った。
 そんな綾子の頭には、淫夢に出て来た松っちゃんと太った男が、いやらしく唇を歪ましている笑顔が常に浮かんでいた。
 マッサージ器の振動音と、自分の喘ぎ声に混じって、『入れて欲しくなった? もう入れて欲しくて堪んないんでしょ?』という、太った男の野太い声が聞こえて来た。
「入れて! 奥まで入れて! ああああん、お願い!」
 そう叫びながら太ももを痙攣させた綾子は、摘んでいたマッサージ器をポトリと落とすと、いきなりその指をワレメの中に挿入し、狂ったように穴の中を指で掻き回しながら絶頂に達したのであった。


             


 ふと時計を見ると、既に午後二時を過ぎていた。
 合計四回も絶頂に達してしまった綾子は、ぐっしょりと染み付いたシーツを見つめながら激しい嫌悪感に苛まれていた。
 足下を振らつかせながら立ち上がると、その忌々しい雑誌を元の引き出しの中に押し込んだ。
 深い溜め息をつきながら寝室を出た。ピカピカに磨き上げられた廊下を見たとたん、綾子は激しい吐き気を催した。
 下唇を噛みしめながらトイレへ駆け込むと、やはり便器も輝くばかりに磨き上げられ、トイレットペーパーの先などは御丁寧にも三角に折られていた。
 うんざりした。
 顔を顰めながら便器に腰を下ろすと、廊下をせっせと磨く夫の姿が浮かんで来た。ドロドロに濡れた陰部から激しい尿を噴射させながら、ふと、あのピカピカに磨き上げられた廊下に放尿してやりたいという衝動に駆られた。

 どっぷりと暗い気持ちを引きずりながらトイレを出た。ピカピカの廊下に白い泡だらけの唾をビッと吐き出しながらリビングへと向かった。
 気怠い午後の日差しを浴びたダイニングテーブルの上には、まるで蝋で作られたサンプルのような完璧な目玉焼きと、定規で書いたような律儀な文字が並ぶメモが置かれていた。

『おはよう。今日も頑張ってね。※薬を忘れないようにね』

 そんな夫のメモを見下ろしながら、いったい何に頑張ればいいのかと思った。三十を過ぎて子供のいないヒキコモリのウツ病主婦。こんな私に夫は何を頑張れと言っているのだろうかと、とことん暗い気持ちになった。
 そんなメモをクシャッと握り潰しながら、テーブルに並ぶ赤いウィンナーと、レンジでチンするだけの冷凍エビフライをぼんやり見つめた。これが今日の夫の弁当のおかずなのかと思うと、不意に区役所の屋上で職員達と車座になりながら弁当を食べる夫の姿がありありと浮かび、綾子は叫び出したい程のウツに襲われた。

 薬が切れかかっていた。それと同時にオナニーの後の嫌悪感が襲いかかり合併症を起こしていた。
 脳、骨、筋肉が溶けて行くような脱力感と、胸に穴がぽっかり開いたような喪失感。もはや瞬きするのも億劫だというのに、そのくせ無性にイライラしては大声で叫び出したい気分だった。
 死んだ魚のような目で、夫が書いたメモの横に置いてある七個の錠剤を一粒一粒掌に乗せた。それを摘む指は、まるでアル中のように震えていた。
(いったい、私はいつまでこの薬に頼って行かなくてはならないんだろう……)
 そう思いながらそれを一粒一粒口の中に投げ入れ、温くなったボルヴィックで一気に流し込んだ。
 しかし、ゴクリと飲んだその瞬間、強烈な吐き気が襲った。慌てて唇を窄めると、口内に逆流して来た水がプクっと頬を膨らませた。
 蛸のように窄めた唇から「ブッ!」と水を噴き出しながら、慌ててトイレに走ると、ドアを開けると同時に便器の中にブシャ! っと吐き出した。
 水と同時に、黄色い錠剤が二錠と白い錠剤二錠がカラカラと音を立て、まるでカジノのルーレットの玉のように円を描きながら便器の底に転がって行った。
 水の底に沈む錠剤を愕然と見ていた。薬は常に夫が管理していた。過去に三回もオーバードースで緊急病院に運ばれていたため、夫は余分な薬を家には置いていないのだ。
 夫が帰ってくるまでの時間を考えると背筋がゾッとしたが、だからと言ってそこからそれを摘まみ出して飲む気にもなれなかった。
 一瞬、絶望に陥った綾子だったが、しかし、幸いにも青い錠剤を吐き出していなかった事に気づいた。
 それが何よりの救いだった。青い錠剤はハルシオンという眠りに導く睡眠鎮静剤なのだ。
 綾子はそのままキッチンへと向かった。そして冷蔵庫の前にしゃがむと床下収納の蓋をガバっと開けた。
 そこには、みりん、酒、醤油、といった一升瓶が綺麗に並べられていた。その中から日本酒の一升瓶を引きずり出し、食器洗浄機の中からグラスを取り出すと、そこになみなみと日本酒を注いだ。
 綾子は全く酒が飲めなかった。しかし、ハルシオンを服用して日本酒を飲めば睡眠効果はより即効性を増す、という記事を、以前、夫が読んでいたアサヒ芸能という雑誌で読んでいたのを思い出したのだ。
 とにかく、薬がキレてパニックになる前に寝てしまおうと思った。
 目を覚ました頃には、きっと夫も帰って来ているだろうという安易な考えで、鼻を摘んだまま一気に日本酒を飲み干した。
 口の中と喉が焼けるように熱かった。慌てて冷蔵庫の中からイチゴジャムを取り出し、それを手掴かみでべちゃべちゃと食べ漁った。
 これでもかというくらいに口の中が甘くなり、一瞬にして口内から酒の苦みが消えてくれた。
 やっと一息ついた。急いで手を洗い、一升瓶を床下収納にしまい、グラスを食器洗浄機の中に戻した。そのままフラつく足取りで寝室へと向かった。ベッドに潜り込むなり、とたんに胸焼けがした。まるでマラソンを走り終えた後のように息苦しい。
 ハァハァと荒い呼吸をしながら天井を見つめていると、みるみる顔が火照って行くのがわかった。その火照りは顔から首へと広がり、胸、太もも、足首までと全身に広がった。
(お酒って、凄いんだな……)
 そう思いながらフワフワした気分で天井を見つめていると、じわりじわりと意識が遠退いて行くのがわかった。綾子は素直に(ああ、これってとっても気持ちいい)と思った。こんなに簡単に眠れるのなら、これからはお酒と一緒に薬を飲むべきだわ、と嬉しくなっていると、ふと、自分が鼾をかいている事に気づいた。
 綾子は自分の鼾を客観的に聞きながら、浅い眠りに落ちて行ったのだった。

(後編へつづく)

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